これだけは断言しておうかな、と思う


コロナ、やっと緊急事態解除。  


今回のコロナウィルスで世界中がストレスチェックされた。

日本はかなり劣等生でいまだマスクも給付金も届かない。その隙に定年延長騒ぎもあり、カオスすぎる(T_T)


そんなことより、やっと学校が始まる兆し。

つまり日常が戻ってくるのだ。

3月から約3ヶ月、この間家で家族と過ごす時間が増えた。

習い事も飲み会もなく、みんなが7時には夕飯を食べ終わり、8時にはお風呂を出ている。それからテレビを見たりゲームをして早い日は9時に寝ている。


この暮らしを一度味わってしまったら、元の生活には戻れない人も出てくると思う。

私も自信がない。。。



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習い事、あんなに頑張って来たのに、辞めちゃっても良い気がしてきた。積み上げてきたモノへの執着が断ち切られたというか、頑張って集めたメンコやビックリマンシールがある日色褪せて見えるような、そんな感覚‥‥



人生で大切なことって本当にシンプルで、


家族とごはんと住むところがあれば

とりあえずは良いのだ。

けれどそれは、生存欲求を満たすレベルでしかない。

人は社会的な生き物なので、より多くを求め、苦しむ。承認欲求、自己実現欲求に突き動かされ、今日も他人と比べて優劣をつけたりしている。その一番わかりやすいモノサシがお金なわけで、良い家、良い車を手に入れれば幸福になれると錯覚してしまいがちなのだ。そのためローンを組み、人生の時間を無駄にしてしまう。


そんな経済的な蜘蛛の巣に絡め取られることに違和感を覚えて、私たちは釣りに出かけるのではないか。


海の前では人はちっぽけな存在で、釣り糸を垂らしてなんとか縋るのだ。自分という存在を受け入れてもらいたくて。


ただ、これだけは断言しておこうかなと思う。


『トランクの折れた釣り竿を治すのはこれが最後だ。』


何度も折れている。こないだなんかは、水受けがテトラに落ちて拾う際、スティックとして活躍している。

古いのを治すより新しいのを買ったほうが安い。うちのガスファンヒーターも然り。10年間我が家を寒さから守ってくれたが、ついにお掃除ランプが消えなくなり、すぐに電源が切れてしまう。修理に出すと8000円以上かかるので、新しく買った方か安い。けれど直せばまだ使えるものを捨てるのはもったいないではないか!


ほら、この世界は矛盾に満ちている。

モノを大切に、エコ精神とか言いながら、現実の消費社会は治すより捨てて買う方を選択し易い仕組なわけだ。


これは地球にとってはゴミを増やす有害行為で、人間が利便性を追求するこの経済活動は、回り回って自分に返ってくる。


とか思いながらも、やはり釣り竿はもし次折れたら、買い替えたいと思う利己的な私をお許しください。


ご静聴ありがとうございました。